60過ぎ

自宅介護の毎日のなんだりかんだり。

震災から10年


あの日、母は午後美容院に行き、津波がきたときはすでに終わって家にいたかもと妹は言っていた。一人では逃げられないしもう助からないだろう。しかし、妹は母ちゃんは絶対生きている!と言った。女川町は町の7割以上が被災し役場とも連絡が取れなくなっていた。3日後自転車で1時間以上かかり母を探しに行き、3ヶ所目の避難所でみつけた、生きていた。美容院で急ぎの客が来て自分の前に入り、地震で家まで戻り外にいたところを近所の人に車に乗せてもらい助けられたと言う。感謝です。

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